明治18年、弱冠20才の観八と34才の杜氏・仲摩鹿太郎(なかま しかたろう)が精魂傾けて造った酒は、地元の名瀑、龍門の滝にちなんで「龍門」と名づけられた。この酒が次第に評判となり、観八は互いの心意気を讃え、自分の名と鹿太郎の名を一文字ずつとり『八鹿』と名を改めた。
家業の酒造業が軌道に乗ると、観八は「世のため人のため」の公共事業に力を注ぐ。先代が果たせなかった井路を完成させ、国鉄久大線敷設という大事業にも着手し、20年を越す絶え間ない努力の末、昭和4年、久大線の引治・恵良・森の各駅が開通した。観八はその前年に63歳でこの世を去った。念願の鉄道開通を見ることは出来なかったが、遺徳を偲ぶ人々によって銅像が建てられ、今も恵良駅と八鹿酒造を見守っている。